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京都地方裁判所 昭和56年(ワ)1574号 判決 1985年1月24日

原告(反訴被告)

浄恩寺

外二八名

右原告ら訴訟代理人

鍛治良道

被告(反訴原告)

本願寺

右代表者

五辻実誠

右訴訟代理人

表権七

三宅一夫

入江正信

坂本秀文

山下孝之

主文

一  原告ら(反訴被告ら)の別紙(二)の物件目録記載の建物部分及び通路についての使用貸借契約による使用権確認請求を棄却する。

二  原告ら(反訴被告ら)のその余の本訴請求〔被告(反訴原告)の末寺としての権利確認請求〕の訴えを却下する。

三  原告ら(反訴被告ら)は、被告(反訴原告)に対し、別紙(二)の物件目録記載の建物部分及び通路を明渡せ。

四  訴訟費用は、本訴・反訴を通じ、原告ら(反訴被告ら)の負担とする。

事実

〔以下、原告ら(反訴被告ら)を単に「原告ら」、被告(反訴原告)を単に「被告」、別紙(二)の物件目録記載の建物部分及び通路を単に「本件建物部分」と、それぞれ略称する。〕

第一  当事者の求めた裁判

(本訴について)

一  原告ら

1 原告らが本件建物部分について、使用貸借契約による使用権を有することを確認する。

2 原告らが左記行為を含む原告らの被告の末寺としての権利を有することを確認する。

(一) 被告の本堂において行う被告のすべての儀式に原告らが出仕すること。

(二) 被告から、教師・堂班・衣体その他の資格称号の付与を原告らが受けること。

(三) 被告から、原告らが僧籍の取得、得度の付与を受けること。

(四) 被告から、原告らを通し院号法名の付与、須彌檀収骨を原告らの門信徒に与え帰敬式をとり行うこと。

3 本訴の訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

二  被告

1(一) 原告らの前記一の1記載の請求を棄却する。

(二) 原告らの前記一の2の記載の請求の訴えを却下する。

2 右1の(二)が認められないときは、原告らの本訴の請求全部をいずれも棄却する。

3 本訴の訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

(反訴について)

一  被告

1 原告らは、被告に対し本件建物部分を明渡せ。

2 反訴の訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

二  原告ら

1 被告の反訴請求を棄却する。

2 反訴の訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

第二  当事者の主張

(本訴について)

一  被告の代表者についての本案前の主張

1 原告らの右本案前の主張

被告の代表者は、登記簿に登記された代表役員五辻實誠(以下「五辻」という)ではなく、訴外大谷光暢である。以下、その事由を詳述する。

(一) 改正前の被告(宗教法人本願寺)規則第七条によれば、被告の代表者は被告の住職であるとされているところ、被告の住職は大谷光暢である。そうすると、右大谷が被告の代表者である。

(二) 被告は、右規則が昭和五五年一一月改正され、この改正規則によれば、被告の代表役員は宗教法人である真宗大谷派(以下「大谷派」という)の宗務総長を充てることになつたところ、五辻が大谷派の宗務総長に任命されたので、五辻が被告の代表者である旨主張するが、右規則改正も、任命もいずれも無効である。その事由は、次の(1)ないし(5)述べるとおりである。すなわち、

(1) 大谷派の管長代務者竹内良恵は、大谷派の宗議会の議員に対し、昭和五五年五月六日付で同年六月六日に大谷派の宗議会を招集する旨の通知をした。そして、右宗議会において五辻を宗務総長に推挙する旨の決議がなされた。

しかしながら、右宗議会は、京都地方裁判所昭和五五年(ヨ)第三四〇号仮処分申請事件の昭和五五年六月四日付決定(その内容は次の(イ)、(ロ)に摘示のとおりである)に違反して、開催されたものであるから、右宗議会における五辻を宗務総長として推挙する旨の決議は不存在である。

(イ) 被申請人大谷派に対し、被申請人竹内良恵が右大谷派管長名を以て昭和五五年五月六日付で招集した同年六月六日午前一〇時からの大谷派宗議会場における宗議会の開催はこれを禁止する。

(ロ) 被申請人竹内良恵は前項の招集にかかる宗議会の開催行為をしてはならない。

ところで、大谷派の宗務総長に任命されるには、その宗議会における推挙を要件とするところ、仮に、五辻が右宗務総長に任命されたとしても、右推挙の要件を欠くから、右任命は無効である。

(2) 被告の規則改正の無効

(イ) 大谷派宗憲第四三条によれば、内局を構成する参務は、宗務総長がこれを選定し、管長がこれを任命すべきところ、五辻は、昭和五五年六月二〇日訴外細川信之、同古川智徳、同藤原俊、同木越樹、同本間義博を参務として選定したが、前記のように五辻は宗務総長ではないので、右参務選定は不存在である。そうすると、仮に、大谷光暢が右細川らを参務として任命したとしても、右任命は、宗務総長の選定を欠くから無効である。ところで、被告(本願寺)の規則第八条によれば、被告の責任役員は、大谷派の宗務総長と参務が兼ね、また、右責任役員の決議がなければ被告の規則の改正等の変更は許されないものである。そうすると、仮に右五辻、細川、古川、藤原、木越、本間が被告の規則改正の決議をしたとしても、右の者らは、被告の責任役員ではないので、右決議は無効である。

(3) 昭和五五年一一月一九日の大谷派の臨時宗議会の決議無効

(イ) 昭和五五年一一月一九日開催の大谷派臨時宗議会は、同月九日宗達第三号を以つて招集された。大谷派宗憲第一九条によると、管長の発する達令には宗務総長及び参務の副書を必要とするところ、右宗達第三号には宗務総長として五辻、参務として、前記、細川、本間、藤原、古川、木越の各副書がある。しかし、右宗達第三号の宗務総長、参務の副書は副書人等が前記のとおりその地位にないものであるから無効である。そうすると、右臨時宗議会は、その招集手続において既に違法がある。

(ロ) また、大谷派宗憲第二四条によれば、臨時宗議会の議事は宗務総長の提示したものに限るとされているが前記のとおり宗務総長が存在しないから、何らの議事も議決もできないものである。

(ハ) 更に、前記宗議会の議長であると称してこれを勤めた訴外古賀制二は、昭和五五年六月六日開催の大谷派の定期宗議会において大谷派の宗議会長に選定され、同年同月二四日訴外竹内良恵により右宗議会議長に任命されたと称し、また同年一一月八日大谷光暢により右宗議会議長に任命されたと称しているが、右古賀は、右宗議会によりその議長に選定されていないのであつて、仮に大谷光暢により右のとおり任命されたとしても、その基礎を欠いているから、同人は右宗議会議長の地位にない。そうすると、昭和五五年一一月一九日の大谷派の臨時宗議会は議長が存在しないまま運営されたことになる。ところで、大谷派宗議会議事条規第一一条によると、議長が議事を開くことになつているので、議長が存在しない以上議事は開かれたことにならない。右条規第一五条によると、開議宣告権は議長にあり、これあるまでは何人も議事について発言できず、従つて、議決はあり得ないのである。

(ニ) 以上の次第で、昭和五五年一一月一九日の大谷派の臨時宗議会での決議は、無効であるから、右宗議会でなされた過去の決議の承認、宗務総長の推挙の決議等はすべて無効である。

(4) 昭和五六年五月二七日の大谷派宗議会の決議無効

竹内良恵は、昭和五六年四月二七日大谷派管長代務者に就任したと称して、同日付で右管長代務者名を以つて同年五月二七日から開催の大谷派の宗議会を招集したところ、大谷派は、同日からその宗議会を開催し、宗憲改正をはじめとする諸決議を行つた。しかし、右各決議は、次の(イ)及び(ロ)に述べる事由により、無効である。

(イ) 大谷派の管長代務者選任無効

(A) 右管長代務者を決定すべき根拠法規は、宗憲第一七条と管長推戴条例第八条であるが、右竹内は管長推戴条例が昭和五二年五月二七日に改正されたものとして、この改正管長推戴条例第八条に規定する「管長が正当の事由なくして職務を行わないとき」に該当するとして、管長代務者の地位に就いたものである。ところで、改正前の右条例第八条には右のような事由は規定されていなかつたところ、右条例の改正は、昭和五一年六月二日開催の大谷派の第一〇三回定期宗議会において決議され、右宗議会は、訴外嶺藤亮が管長代務者として招集し、右改正条例を公布したものである。しかし、右嶺藤は、管長代務者ではなく、右宗議会開催前の同年五月二五日京都地方裁判所から、管長、代表役員代務者としての職務執行停止の仮処分命令を受けていたので、右宗議会を開催する権限も、右改正条例を公布する権限もなかつた。そうすると、右条例改正は、無効であり、これを根拠とする管長代務者の選任は無効である。

(B) また宗憲第一九条によると、大谷派の管長は、内局の補佐と同意によつて、「一、宗憲改正及び条例を公布すること、二、宗達を発すること、三、宗議会を招集し、その開会閉会、会期の延長、停会及び解散を命ずること、」等を行なうと規定され、大谷派の宗議会の招集は右管長の権限であることが明記されている。しかるに、大谷派内局は、宗憲第一九条が昭和五二年五月二七日「管長は内局の上申により、一、宗憲改正及び条例を公布すること、二、宗議会を招集し、これを解散すること、等を行わなければならない」と改正されたとし、宗議会の招集は右管長の義務である旨主張している。しかし、右宗憲改正は、前記(A)のとおりの管長推戴条例改正の際に行われたものであり、その経過は同様であつて、無効なものである。そうすると、大谷派の宗議会招集が内局の上申ある場合管長の義務であることを前提とした管長代務者設置事由は、法的には存在しないのに、これがあるものとして前記竹内を管長代務者に任命したものであるから、右任命は無効である。

(C) 更に、管長推戴条例第九条によれば、管長代務者の就任を要する場合の認定は、宗務総長が大谷派の参与会及び常務委員会に諮ることになつており、管長代務者の決定は宗務総長が期日を定め右参与会及び常務委員会を招集して行うことになつている。しかし、右参与、及び右宗務総長と称している五辻は、前記のとおり大谷派の右各役員の地位にはなかつたから、右諮問を経ておらず、従つて、右管長代務者の認定、決定は違法である。

(D) 以上の理由により、竹内良恵を管長代務者とする前記選任は無効であり、同人は管長代務者の地位になかつたものである。

(ロ) 宗議会の決議無効

(A) 大谷派の管長は、宗議会を招集する権限及び開催を命ずる権限をもつものであるところ、前記竹内は、管長代務者として昭和五六年五月二七日の大谷派の宗議会の招集の通知を宗議会議員宛に発し、これにより右宗議会が開催されたものである。しかし、前記のとおり、右竹内は管長代務者の地位になかつたので、右宗議会の招集及びその開催はいずれも無効であつて議会は成立しないから、その議決も無効である。

(B) また右宗議会は、宗達第二号により管長代務者名をもつて招集されたが、宗憲第一九条によると、右招集は宗務総長、参務の副書を要件とするところ、右宗議会の招集に際しては、五辻が宗務総長として、前記細川、本間、藤原、古川、木越が参務として各副書をしているけれども、右五辻らは前記のとおり宗務総長、参務の地位になかつたので、右副書の要件は具備されておらず、更に、右宗議会の議長を勤めた古賀制二は前記のとおり右議長の地位になかつた。

(C) そうすると、昭和五六年五月二七日開催の大谷派の宗議会は、その招集手続、議事手続において違法があり、その決議は無効である。

(5) 仮に、昭和五七年一月の大谷派の臨時宗議会において前記五辻ら(但し、前記古賀、古川を除く)が再任されたとしても、右臨時宗議会は、昭和五六年五月二七日の大谷派の宗議会によつて改正されたとする所謂新宗憲に基づくものであるところ、前記のとおり右宗議会の決議は無効であるから、右新宗憲は認められず、旧宗憲(甲第一〇号証)が現行の効力ある宗憲である。そうすると、これによらない、新宗憲による右宗議会の決議はすべて無効である。

2 原告らの右本案前の主張に対する被告の反論等

(一) 五辻は、昭和五五年六月一八日大谷派の宗議会において宗務総長として推挙を受け、同年同月二四日竹内良恵管長よりその任命を受けて宗務総長に就任し、更に、大谷光暢法主との和解に基づき、同年一一月八日大谷光暢管長から宗務総長として任命されるとともに、同年同月一九日開催の大谷派の宗議会における五辻内局が行つた宗務及び昭和五〇年以降の各宗議会の決議の承認によつて、宗務総長としての地位は確定したものとなつた。

(二) 更に、昭和五六年一二月の宗議会議員選挙後の大谷派の宗議会において五辻内局(宗務総長と五人の参務で構成)は総辞職し、同五七年一月二〇日開催の宗会(宗議会及び門徒評議員会)において、五辻は、再び宗務総長に指名されて同月二二日内局を組織して宗務総長に就任し、被告代表者を宗務総長とする規則により、その旨の登記を了した。

(三) 以上の次第で、被告の代表者は、五辻である。

二  本案の主張等

1 原告らの請求の原因

(一) 原告らは、もと、大谷派を包括法人とする被包括宗教法人であり、宗教法人である被告を本山とする末寺であつた。

(二) 原告らは、被告との間で次の(1)ないし(5)のとおりの経緯で、被告が原告らに本件建物部分を無償で貸す旨の使用貸借契約を締結して、被告からその引渡しを受け、本件建物部分を占有している。

(1) 昭和五三年六月三日大谷派宗憲改正委員会から、被告(本願寺)を大谷派に合併し、代表権を管長から、宗務総長に移行することを骨子とした中間報告書が発表されたため、被告の代表者の大谷光暢住職は、同年一一月六日被告が大谷派から離脱することを宣言すると共に、志を同じくする被告の末寺に対し大谷派から共に離脱することを要請した。原告らは、右の要請に応えて、次々に大谷派との被包括関係廃止の手続をとつた。

(2) 被告は、大谷派離脱寺院に対し、改めて、被告の末寺であることを認証するとともに、寺法なるものを制定し、被告の末寺としての権利義務を相互に確認した。

(3) 原告らは、昭和五三年一一月の被告の独立宣言に賛同し、大谷派から独立して、被告(本願寺)に上山してきたところ、原告ら離脱寺院の集合場所が必要となつたため、被告が本件建物部分を提供することになつた。

(4) 原告ら離脱寺院は、相互の連絡統制をとるため昭和五四年五月に本願寺寺務所として独立寺院団を発足した。

(5) そして、同年一一月二二日、大谷派内局は、原告ら離脱寺院に対して報恩講への出仕を認めず、暴力により出仕を阻んだため、離脱寺院は相互間の団結の強化と組織化を図り、昭和五五年三月頃、原告らの組織が確立した。同年同月一〇日、被告から原告らの組織した本願寺寺務所に対して使用を認められた本件建物部分が特定され、ここにおいて、本願寺寺務所の構成員である原告らと被告との間の使用貸借契約が成立したのである。

(三) 被告は、原告ら大谷派離脱寺院に対し、別紙(一)記載の年月日に改めて被告の末寺であることを認証するとともに、寺法なるものを制定し、被告の末寺としての権利義務を相互に確認した。すなわち、被告は、被告の行うすべての儀式に原告ら離脱寺院が末寺として出仕する権利、被告の教師、僧籍、得度堂班衣体の称号を受ける権利、被告より原告らを通して原告らの門信徒に対し院号法名を授り、被告の施設たる須彌檀への収骨を受ける権利を確認したのである。

(四) ところが、被告は、原告らの本件建物部分についての右使用貸借契約による使用権、及び右末寺としての権利の存在を争つている。

(五) よって、原告らは、被告に対し、原告らが本件建物部分についての使用貸借契約による使用権、及び右末寺としての権利を有することの確認を求める。

2 請求の原因に対する被告の認否

(一) 請求の原因(一)の事実は認める。

(二) 同(二)のうち、原告らが、大谷派を離脱し、本件建物部分を占有している事実は認め、その余の事実は否認する。

(三) 同3(三)の事実は否認する。

(四) 同(四)の事実は認める。

3 被告の抗弁

(一) 本案前の抗弁

原告らの前記第一の(本訴について)の一の2記載の請求(被告の末寺としての権利確認請求)は、すべて宗教上の事項であつて、裁判所において法律上の争訟として最終的に解決することができる法律上の権利義務に関する事項ではなく、司法権の対象外である。そうすると原告らの右請求の訴えは却下されるべきである。

(二) 本案についての抗弁

仮に請求の原因事実が全部認められるとしても、

(1) 被告の財産は、原則として貸付け、処分し、若しくは出資の目的とし、又は他人の私権を設定することができない(被告の本願寺規則第二三条一項)のであり、普通財産たる不動産については、総代の同意を得、参与会及び常務員会の議決を経た場合は、このかぎりでない(同規則第二四条二項)のである。また、被告の事務の決定は、責任役員の過半数で決する(同規則第八条)ことになつている。

ところで、原告ら主張の本件建物部分の使用貸借契約の締結は、普通財産たる不動産の貸与であるから、被告において、責任役員の過半数の同意、総代の同意、並びに参与会及び常務員会の各議決を経なければならないところ、右契約締結に際して、被告の代表者であつた大谷光暢は右手続をとらずに右契約を締結したものである。そうすると、右契約締結は、右大谷の権限濫用行為であるところ、原告らは同人の権限濫用の事実を知つていた。してみれば、右使用貸借契約は、民法九三条但書の類推適用により無効である。

(2) 仮に右主張が認められないとしても、被告は、原告らに対し、昭和五八年八月二六日の本件訴訟の第一二回口頭弁論期日において、右同日付準備書面を陳述して、民法五九七条三項により、右使用貸借契約の解約の意思表示をした。そうすると、これにより右使用貸借契約は解除された。

(3) 被告は、原告らに対し、右同日、右準備書面を陳述して、原告ら主張の本山・末寺契約の解除の意思表示をした。その解除事由は次のとおりである。

すなわち、大谷派の唯一の本山である被告は、大谷派から離脱した原告らとの間には、同一の宗教活動を行う基盤が異なるので、被告の宗教活動に原告らを参加させることはできない。そこで、被告は、その信教の自由に基づき、原告らとの本山・末寺関係を解消するために、右契約を解除するものである。

そうすると、これにより、右本山・末寺契約は解除された。

4 抗弁に対する原告らの認否

(一) 本案前の抗弁に対する主張

原告らは、被告が原告らの本山であることによつて門信徒とのつながりを得ているので、本山・末寺関係のうち、原告らが請求する各行為を本山である被告が認めないならば、門信徒は原告らの存在価値を認めず、末寺と門信徒の関係は失われる。その結果、原告らの宗教活動が大幅に制限され、その生計に危機を招来することになる。そのため、本山、末寺の関係が宗教性が高いとしても、この関係を維持するための約束が履行されないことが、原告の生活の基盤を覆す程度に重大であるから、右請求は、司法審査の対象となり得るものである。

(二) 本案の抗弁に対する認否

(1) 抗弁(1)のうち、本件建物部分が被告主張の普通財産にあたり、また大谷光暢が当時の被告の代表者であつたこと、被告の本願寺規則によれば、財産は原則として、処分等はできない旨規定されている(同第二三条一項)ことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告の普通財産である不動産は、被告(本願寺)の目的用途に反しなければ一定の同意、議決がなくとも使用収益をさせることができるものである(同第二四条一項、二項)。ところで、本件建物部分は被告主張の普通財産にあたるばかりか、「親鸞の教義をひろめ、儀式行事を行い、門徒を育成し社会の教化を図る」という被告(本願寺)の目的(本願寺規則第四条一項)と原告らの目的とは、同一であるから、本件使用貸借契約の締結については、被告主張の一定の議決、同意等の手続を経ることを要しないものである。

(2) 抗弁(2)の主張は争う。

(3) 抗弁(3)の主張は争う。

5 原告らの再抗弁

(一) 本件使用貸借契約には、原告らと被告との間に本山、末寺関係の存続する限り、その末寺相互の団結と事務連絡及び末寺と本山との連絡のため本件建物部分を使用するという目的が存在しているところ、右目的に従つた使用収益は未だ終つていない。

(二) 被告の抗弁(2)及び(3)の解約等の意思表示は、被告の代表権のある者によつて初めてその効果が生ずるところ、前記一の1に記載の理由により、被告の登記簿上の代表者五辻は被告の代表者ではないから、被告の右解約等の意思表示は無効である。

(三) 原告らは、もと、大谷派を包括法人とする被包括法人であり、被告を本山とする末寺であつたところ、昭和五三年六月三日大谷派宗憲改正委員会から、改正宗憲の中間報告が発表されたため、被告の代表者大谷光暢は、同年一一月六日大谷派から離脱することを宣言するとともに、志を同じくする原告らの末寺に対し大谷派から共に離脱することを要請したため、原告らはその要請に応えて大谷派から離脱したのである。しかるに、被告の代表者大谷光暢は、大谷派から告訴を受けたため、刑事責任を避けられないと悟るや、みずから原告らに大谷派からの離脱をすすめておきながら、被告の離脱をとり止めるという背信的行為に出たものである。かかる事情に鑑みれば、被告の本山・末寺関係を解除する旨の意思表示は、信義則に反し、権利の濫用である。

6 再抗弁に対する被告の認否

(一) 再抗弁(一)の事実は否認する。

(二) 同(二)は争う。これについての反論は、前記一の2に記載のとおりである。

(三) 同(三)は争う。

(反訴について)

一  被告の請求の原因

1 被告は、本件建物部分を所有している。

2 原告らは、本件建物部分を占有している。

3 よつて、被告は、原告らに対し、所有権に基づき本件建物部分の明渡を求める。

二  請求の原因に対する原告らの認否

1 請求の原因1及び2の各事実は認める。

2 同3は争う。

三  原告らの抗弁

1 本案前の抗弁

前記(本訴について)の一の1記載のとおりである。

2 本案についての抗弁

前記(本訴について)の二の1の(二)(使用貸借契約の締結)記載のとおりである。

四  抗弁に対する被告の認否等

1 抗弁1についての反論等は、前記(本訴について)の二の2記載のとおりである。

2 抗弁2についての認否は、前記(本訴について)の二の2の(二)(本訴の請求の原因(二)に対する認否)記載のとおりである。

五  被告の再抗弁

前記(本訴について)の二の3の(二)の(1)、(2)(本訴の抗弁(二)の(1)、(2))記載のとおりである。

六  再抗弁に対する原告らの認否

前記(本訴について)の二の4の(二)の(1)、(2)(本訴の抗弁(二)の(1)、(2)に対する認否)記載のとおりである。

七  原告らの再々抗弁

前記(本訴について)の二の5の(一)、(二)(本訴の再抗弁(一)、(二))記載のとおりである。

八  再々抗弁に対する被告の認否

前記(本訴について)の二の6の(一)、(二)(本訴の再抗弁(一)、(二)に対する認否)記載のとおりである。

九  被告の再々々抗弁

前記(本訴について)の二の3の(二)の(3)(本訴の抗弁(二)の(3))記載のとおりである。

一〇  再々々抗弁に対する原告らの認否

前記(本訴について)の二の4の(二)の(3)(本訴の抗弁(二)の(3)に対する認否)記載のとおりである。

一一  原告らの再々々々抗弁

前記(本訴について)の二の5の(二)、(三)(本訴の再抗弁(二)、(三))の記載のとおりである。

一二  再々々々抗弁に対する被告の認否

前記(本訴について)の二の6の(二)、(三)(本訴の再抗弁(二)、(三)に対する認否)記載のとおりである。

第三  証拠<省略>

理由

第一被告の代表者の地位にある者は誰かについて

一  五辻は大谷派の宗務総長か等

1  原告は、「大谷派が宗議会議員に対し昭和五五年六月六日付で召集し開催された宗議会で、五辻を宗務総長として推挙する決議がなされたが、右開催は、仮処分決定に違反する違法なものである。」旨主張する。

成程、<証拠>を総合すれば、昭和五五年六月六日以降開催の宗議会において五辻を宗務総長として推挙する決議がなされたが、これに先立つて、訴外中山理々他から大谷派及び竹内良恵に対し右宗議会の開催の禁止を求める仮処分申請が為され(当庁昭和五五年(ヨ)第三四〇号仮処分申請事件)、同年六月四日これを認容する決定が出されたことが認められるので、右宗議会において五辻を宗務総長に推挙する旨の決議は、右仮処分決定に違反しており、その効力を生ずるに由ないものといわなければならない。

2  しかし、<証拠>を総合すれば、次の(一)ないし(四)の各事実が認められる。

(一) 大谷派の管長であつた大谷光暢は、昭和五五年一一月八日、五辻を宗務総長に、細川ら五名を参務に、古賀制二を宗議会議長に、それぞれ任命した。右大谷は、右各役員の任命権者であつた。

(二) 大谷光暢と五辻内局(前記宗議会で推挙された五辻宗務総長と同人によつて選定された五人の参務で構成)との間で同年一一月、次の内容の和解が成立した。すなわち、大谷光暢は、(1)、大谷派及び被告(本願寺)の代表役員の地位を宗務総長に移すこと、(2)、竹内良恵が管長として行つた宗務、嶺藤亮が宗務総長及び管長代務者として行つた宗務、五辻が宗務総長として行つた宗務、並びに昭和五〇年より昭和五五年までの間に開催された大谷派の宗議会及び門徒評議員会の議決等をすべて瑕疵なく有効なものとして承認すること等に同意し、一方、右内局は、(1)、大谷光暢らに対する刑事告訴を取下げること、(2)、大谷光暢らが被告(本願寺)の代表役員名で負担した債務を右内局において処理することに同意した。

(三) そして、宗議会の招集権者の大谷光暢によつて招集された昭和五五年一一月一九日の第一一一回大谷派の臨時宗議会が開催された際、五辻が宗務総長として右和解内容を報告したところ、藤谷議員が「嶺藤内局以来行われた一切の宗務並びに宗議会の議決承認行為に対し瑕疵なきものとして有効であることを宗議会としても承認する」旨の決議を求める緊急動議を提出した。そこで議長の古賀制二が右動議を議題とすることに決定した。同宗議会は出席議員五一名の全員一致で、昭和五〇年六月六日開催の第一〇一回宗議会から昭和五五年六月六日開催の第一一〇回宗議会までの合計一〇回の決議及び承認についてすべて瑕疵のないものとして有効である旨承認するほか、(1)、嶺藤亮ら内局が行つた宗務及び本願寺の寺務、(2)、嶺藤亮管長代務者が行つた宗務及び本願寺の寺務、(3)、竹内良恵管長が大谷派の管長として行つた宗務及び本願寺の寺務、(4)、五辻ら内局が行つた宗務及び本願寺の寺務がすべて瑕疵ないものとして有効なものであると承認する旨の決議をした。

(四) その後、昭和五五年一一月二二日京都簡易裁判所において、申立人竹内良恵、同嶺藤亮、同五辻、同古賀制二と相手方大谷光暢、同大谷智子、同大谷暢道間で前記和解条項による起訴前の和解が成立した。以上の各事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  そこで、右事実関係により、五辻の宗務総長の地位の存否を判断するに、もし、昭和五五年一一月一九日の前記宗議会の決議が有効であれば、五辻を宗務総長に推挙したことを含む同年六月六日以降開催の宗議会の決議と同一内容の決議を改めて行なつたものということができるので、これにより、大谷光暢による五辻の宗務総長任命の前提条件が事後的に充足されたものと解される。よつて、以下において同年一一月一九日の右決議の有効性を検討する。

(一) 原告らは、「(1)、右宗議会の招集の宗達には、宗務総長及び参務の副書を必要とするところ、右宗達には宗務総長として五辻、参務として細川ら五名がそれぞれ副書をしているが、五辻については宗議会による推挙の決議が不存在であり、従つて五辻による細川ら五名の参務の選定も宗務総長による選定ではなく、大谷光暢管長がこれを任命したとしてもその任命の基礎を欠いており同人らは宗務総長、参務の地位にあるものではない。(2)、更に、臨時宗議会の議事は宗務総長の提示したものに限られる(宗憲第二四条)ところ、宗務総長が不存在であり、何らの議事も決議もできない。(3)、そうすると、結局、右宗議会の招集手続と議事進行手続に瑕疵があるから、右宗議会においてなされた決議は無効である。」旨主張する。

しかし、原告らの主張する右手続における瑕疵の点が認められるとしても、右(1)の主張の点については、宗議会招集の際の宗達による副書の瑕疵を主張するものであるところ、前記認定したところによれば、右招集は宗議会の招集権をもつ大谷光暢によつてなされたものであり副書の瑕疵は招集手続における附随的事項に関する瑕疵にすぎず、これをもつて直ちに右宗議会を不成立としてその決議の効力を失わせるものと解するのは相当でなく、また右(2)の主張点については、前記認定したところによれば、前記宗議会出席の全議員がその議題を賛成可決したものであるから、このような場合右議案の提出に手続上の瑕疵があるとしても右決議を無効に至らせる瑕疵とはいいえないと解すべきであり、そもそも、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、前記宗議会は、長年に亘る大谷光暢と内局の間の紛争が昭和五五年一一月頃に至つてようやく和解の気運が盛上り、その和解を踏まえたうえで、宗門の公論によつて爾後の大谷派の組織の改変を図る宗議会であり、決議の内容こそが肝要であつて、もし、例えば、五辻が法的には宗務総長ではないとして、原告主張の如き違法事由のために決議を無効とすれば、前記和解を水泡に帰せしめる状況であつたこと、宗議会においても、原告主張の如き手続違反を門責する意見は何ら出されなかつたこと、過去における決議等を追認する決議においては、議員定数六五名中、出席議員五一名の全会一致により決議されていることの各事実が認められるのであつて、右事実のもとで原告主張の手続の瑕疵の内容を考えれば、右主張事実が認められるとしても、前記決議を無効と解するのは相当ではないのである。

(二) なお原告らは、「古賀制二は宗議会議長の地位になかつたものであるから、議長による開議宣言もありえず何人も議事について発言できず、従つて議決はありえない。」旨主張する。

しかし、前掲各証拠によれば、大谷光暢は、任命権者として、昭和五五年六月六日から開催の宗議会においてなされた右古賀を宗議会議長に選出する旨の決議を瑕疵なく有効と承認し、昭和五五年一一月八日右古賀を宗議会議長として任命していることが認められるので、これにより右任命は有効であるものというべきであり、仮にそうでないとしても、これによる手続上の瑕疵は、前記(一)に説示と同一の理由により、前記宗議会の決議を無効ならしめる程のものではないから、原告らの右主張は失当である。

(三) 以上判断したところによれば、昭和五五年一一月一九日以降、五辻が大谷派の宗務総長の地位に、前記細川ら五名が同参務の地位にあつたことになるものである。

二被告の昭和五五年一二月八日認証の改正規則の効力等

1  原告らは、「五辻が大谷派の宗務総長ではないから、五辻が選定した参務もその地位になく、被告の責任役員を兼ねる宗務総長、参務がその地位にない以上、これらの者のなした右改正規則の決議は無効である。」旨主張する。しかしながら、前判示のとおり、昭和五五年一一月一九日以降五辻は大谷派の宗務総長の地位に、細川ら五名は参与の地位にあつたから、原告らの主張は前提を欠いているところ、<証拠>によれば、これらの者を含む所定の役員の同意を得たうえ、所定の手続を経て、被告の旧本願寺規則が改正され、その認証を経たことが認められるから、同規則の改正は有効である。

2  しかして、<証拠>によれば、右改正規則には、「被告の代表役員は、大谷派の宗務総長の職にある者をもつて充てる。」(同規則第七条)と規定されていることが認められる。これに反する証拠はない。

三昭和五六年五月二七日開催の大谷派の宗議会決議

1  <証拠>を総合すれば、竹内良恵は、昭和五六年四月二七日大谷派の管長代務者に就任し、同日付で宗議会を招集し、大谷派は右招集に基づき同年五月二七日から宗議会を開催し、宗憲改正等の諸決議がなされたこと、管長代務者を決定すべき根拠法規は、大谷派の宗憲第一七条と管長推戴条例第八条であるが、右条例は昭和五一年六月二日開催の第一〇三回宗議会において、「管長が正当の理由なくして職務を行わないとき」も代務者の設置事由となる旨改正されるとともに、同五二年五月二七日公布され、右宗議会は右改正規定に基づき嶺藤亮が管長代務者として招集したものであること、嶺藤亮は同五一年五月二五日京都地方裁判所から管長、代表役員代務者としての職務執行停止の仮処分を受けていたこと、宗憲第一九条は「管長は内局の補佐と同意とによつて、一、宗憲改正及び条例を公布すること、二、宗達を発すること、三、宗議会を招集し、その開会、閉会、会期の延長、停会及び解散を命ずること等を行うこと」を規定し、宗議会の招集は管長の権限であることを明記しているが、右宗憲第一九条は前記条例改正の際宗議会において、「管長は内局の上申により、一、宗憲改正及び条例を公布すること、二、宗議会を招集しこれを解散することとを行なわなければならない。」と改正され、宗議会の招集は管長の義務としたこと、大谷派は内局の上申があるのに管長が昭和五六年五月開催の宗議会の招集をしないため、右改正された宗憲第一九条及び管長推戴条例第八条に基づき、同年四月二七日竹内良恵を管長代務者に任命したこと、管長推戴条例第九条によれば、「管長代務者の就任を要する場合の認定は宗務総長が参与会及び常務委員会に諮つてなすこと」とされており、管長代務者の決定は宗務総長が期日を定め参与会及び常務委員会を招集して行うこと、五辻は宗務総長として参務及び常務委員会を招集し、竹内良恵を管長代務者とする決定がなされたこと、以上の事実が認められる。

2  ところで、原告らは、「昭和五一年当時嶺藤亮は管長代務者でなかつたこと、また同年五月二五日京都地方裁判所から管長・代表役員代務者としての職務執行停止の仮処分命令があつたのであるから、右嶺藤には同年六月二日開催の宗議会を招集する権限がなく、管長推戴条例第八条及び宗憲第一九条の改正は無効であり、右改正された各規定に基づいて竹内良恵を管長代務者とする任命も無効である。また、参与会及び常務委員会を招集した五辻は、当時宗務総長ではないから、管長代務者の就任を要する旨の認定、代務者の決定は違法であつて、このことからも竹内良恵を管長代務者とする選任は無効である。管長は宗議会を招集する権限及び開催を命ずる権限並びに決議を公布する権限を持つものであるが、昭和五六年五月二七日開催の宗議会は竹内良恵が管長代務者として招集通知を発し宗議会を開催し決議の公布をしたのであるから、前記のように同人が管長代務者の地位にない以上右宗議会の招集は無効であり、従つてその開催も無効であつて宗議会は成立しないからその決議は無効である。」旨主張する。

しかし、大谷光暢は、昭和五五年一一月九日嶺藤亮及び五辻内局との間で成立した和解により、嶺藤が宗務総長及び管長代務者として行つた宗務並びに昭和五〇年六月から同五五年六月までの間に開催された宗議会決議をすべて瑕疵なく有効なものとして承認し、続いて大谷光暢管長によつて招集された同年一一月一九日開催の宗議会は嶺藤の行つた宗務及び宗議会の決議について承認したこと、しかして、右決議が有効であることは、前記一において判示のとおりである。そうすると、改正された管長推戴条例第八条及び宗憲第一九条は、法律上有効なものとして確定したというべきである。更に、五辻が大谷派の宗務総長として有効に任命されていることは前記一において判示のとおりであるところ、管長の大谷光暢が右宗議会を招集しなかつたため、改正された管長推戴条例第八条、及び宗憲第一九条に基づいてなされた右管長代務者の就任を要する旨の認定及び代務者の決定は適法であり、結局、竹内良恵を管長代務者とする選任は有効であるというべきである。そうすると、右竹内管長代務者による昭和五六年五月二七日開催の宗議会の招集は適法かつ有効であり、その開催中になされた決議も適法かつ有効であるといわなければならない。

3  なお、原告らは、「昭和五六年五月二七日開催の宗議会は宗達二号により招集され、その宗達には五辻が宗務総長として、細川らは参務として各副書をしているが、同人らは宗務総長、参務の地位にないものである。また、古賀は右宗議会において議長として議事を進めたもめであるが同人は同議長の地位になかつたものである。従つて、右宗議会は、その招集手続、議事手続、公布手続において違法があり、無効であつて、その決議もまた無効である。」旨主張する。

しかし、右の者らが有効に右各役員に任命されていることは前記一において判示のとおりであるから、原告らの右主張は失当である。

四以上判示したところによれば、「大谷派の宗務総長を被告の代表役員に充てる」旨の昭和五五年一二月八日認証の被告の改正規則は有効であり、五辻は昭和五五年一一月一九日以降大谷派の宗務総長に有効に任命されており、同五六年五月二七日開催の大谷派の宗議会の決議は有効であり、これにより大谷派の宗憲は改正されたものであるところ、<証拠>によれば、五辻は、昭和五七年一月二〇日その地位を辞職し、改めて、同日大谷派の改正された新宗憲に基づきその所定の手続を経て、右宗議会及び門徒評議会の宗会で宗務総長に指名されて、大谷派の宗務総長に再任されたことが認められ、これに反する証拠はない。そうすると、本件訴訟(本訴及び反訴)提起並びにその後においても、被告主張のとおり、被告の代表者は五辻であり、被告の代表者が大谷光暢である旨の原告らの主張は、失当で、採用できない。

第二原告らと被告間の使用貸借契約の成立及びその効力について

一1  原告らは、もと、大谷派を包括法人とする被包括宗教法人であり、被告を本山とする末寺であつたが、大谷派から離脱したこと、被告は本件建物部分を所有しているところ、原告らはこれを占有していることは、当事者間に争いがない。

2  しかして、<証拠>を総合すれば、大谷派では昭和四四年頃から、大谷光暢とこれに対する改革派と称する同派内局側との間に紛争が生じ長年にわたる対立状態にあつたこと、昭和五三年三月二六日の大谷派の宗議会、同門徒評議員会において大谷光暢を管長から解任し竹内良恵を管長とする旨の決議がなされ、同人が大谷派の代表役員に就任することとなつたため管長の地位をめぐり大谷光暢と右竹内らがさらに対立したこと、大谷光暢は、昭和五三年三月の前記解任決議を契機に、同年一一月六日大谷光暢が住職、代表役員であつた被告(本願寺)を大谷派から離脱させる旨表明したこと、大谷光暢は、同年一二月六日原告らを含む被告(本願寺)の末寺、檀信徒等に対しても大谷派から離脱することを要請したこと、大谷光暢は、昭和五四年二月一七日から同年四月一八日にかけて、右要請に応えた原告ら離脱寺院に対して末寺之証を交付したこと、離脱寺院は、昭和五四年末頃には、約二〇〇寺に達したこと、原告らは、同年春頃全国に存在する被告(本願寺)の末寺に対して大谷派からの離脱を呼びかけるための組織作りにとりかかつたこと、離脱した寺院は被告に次々と上山し被告所有建物を使用し始めたこと、原告らは、大谷光暢の承諾を得て被告所有建物の一部に本願寺寺務所を設置したこと、その後同年一一月に至り原告らが被告の報恩講を執行する際に大谷派と対立が生じ、これを契機に原告らの組織が強化され、昭和五五年一月末頃から同年二月頃にかけて組織が確立し、総務、財務、教化、企画、管財、式務の各部局が設置されたこと、この頃、右寺務所の設置場所について大谷光暢から具体的に指示され、本件建物部分が特定されたことが認められる。

3  ところで、原告道林寺代表者、及び同浄恩寺代表者は、その各尋問において、前記2の本願寺寺務所は離脱寺院独自の寺務を行うため開設した旨供述している。

4  しかし、前記2に掲記の証拠によれば、原告らは、大谷光暢の大谷派からの離脱宣言に同調して、被告方へ上山してきたこと、原告らは、寺務所開設に際し、大谷光暢に相談し本願寺寺務所の名称を使うことを許されたこと、当時被告には、原告らとは別に被告の末寺に対して独立を呼びかける機関として光闡会が存在していたが、原告らは右光闡会に勤務していた事務員全員をそのまま本願寺寺務所の事務員として勤務させていたこと、大谷光暢は、原告浄恩寺代表者曽我敏を総長代行、原告道林寺代表者楠峻を総務局長に任命したこと、従来被告の寺務である院号法名の付与、須彌檀収骨等の取扱い等すべて大谷派が代行してきたのに対して、これを原告らの本願寺寺務所が取り扱うようになつたことが認められる。そこで、右認定事実により考察すると、原告らの設立した本願寺寺務所なるものは、離脱寺院独自の寺務をとるための組織というよりも大谷光暢を中心として大谷派から独立することを前提とした被告本願寺の寺務を行う組織であるものと推認することができ、原告らは被告から本件建物部分につき独立の使用権限を与えられたものではなく、被告の一機関として本件建物部分の使用を認められたものであつて、事実上原告らが本件建物部分を使用しうる関係のものにすぎないのではなかろうかとの疑問が強く持たれるものである。そうすると、原告道林寺及び同浄恩寺の各代表者の前記3の各供述部分はにわかに措信し難く、前記2に認定の事実から原告ら主張の使用貸借契約の成立を認定することは困難である。他に右契約の成立を認めるに足りる証拠はない。

二しかして、仮に、右契約の成立が認められるとしても、更に、右使用貸借契約の締結が有効であるかについて、検討する。

1  本件建物部分が被告の普通財産であること、被告の規則第二三条一項において、被告の財産は、原則として貸付け、処分し、若しくは出資の目的とし、又は他人の私権を設定することができないと規定されていることは、当事者間に争いがない。

2  ところで、<証拠>によれば、被告の規則(昭和五五年一二月八日認証の改正前の規則)によれば、被告の不動産は、被告の目的又は用途を妨げない限度において、使用又は収益をさせることができ(同規則第二四条一項)、この場合、基本財産については総代の同意、参与会、常務員会の議決を経ることが要件とされていること(同条同項但書)、普通財産である不動産については、総代の同意、参与会、常務員会の議決を経た場合には、貸付け、処分等を行うことができること(同規則第二四条二項)が規定されていること、基本財産は普通財産よりも重要性がより高いことが認められるところ、右認定の規定等により考察すると、原告らが本件使用貸借契約が成立したと主張する当時の被告の規則においては、普通財産についても、被告の目的を妨げる場合には、右一定の要件(総代の同意等)を具備しないかぎり、これを使用収益させることはできない旨規定されているものと解されないでもない。右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  しかし、本件使用貸借契約が被告の目的を妨げるものであるか、否かにつき判断するに、前記2に掲記の証拠によれば、被告は、当時、その前記改正前の規則(四条)により、被告の包括団体の規定である大谷派宗憲(以下「宗憲」という)を基礎に、宗祖親驚聖人の立教開宗の本旨に基づいて、教義をひろめ、儀式行事を行い、門徒を教化育成し、社会の教化を図り、その他大谷派の本山たるこの寺院の目的を達成するための堂宇その他の財産の維持管理その他の事務及び事業を運営することを目的としているところ、当時、原告らは、すでに大谷派から離脱していることが認められるから、大谷派の宗憲に依拠している被告の目的と原告らの目的とは軌を一にせず、ひいては、本件使用貸借契約は被告の月的を妨げるものと認めるのが相当である。原告道林寺代表者尋問の結果中右認定に反する部分は採用できない。そうすると、本件使用貸借契約の締結については、前記規則により、被告の総代の同意、参与会、常務員会の議決を要するものであるところ、前記2に掲記の証拠によれば、大谷光暢が本件使用貸借契約を締結するに際し右手続を一切履践していなかつたことが認められるので、右契約の締結は、大谷光暢が被告の代表役員としての権限を踰越、濫用して行つたものといわなければならない。

4  しかして、原告道林寺及び同浄恩寺各代表者尋問の結果によれば、原告らは、独立寺院の組織化を図り、本願寺寺務所を組織したものであるが、右本願寺寺務所の内部組織は、総務、財務、教化、企画、管財、式務等の各部局に分かれていたところ、原告浄恩寺代表者曽我敏は寺務総長代行、原告道林寺代表者楠峻は総務局長として原告ら独立寺院の組織の中心的役割を果していたものであること、原告らが寺務所を設立した当時の原告らは、被告所有不動産の貸付け等を行う場合の手続として、参与会、常務員会等の議決を要することも了知しており、大谷光暢が原告らに本件建物部分の使用の許可を与えるにつき、右議決を経たことは聞いていないこと、原告らは、本件建物部分の使用目的が被告の目的の妨げとならないと考えていたため被告の機関と協議する必要がなく、被告の代表役員である大谷光暢の使用許可があれば十分であると考えていたこと、原告らは、大谷派から離脱した寺院であるため、被告の財産を管理していた大谷派の財産管理担当部門との話合いは一切していないこと、大谷光暢と大谷派の責任役員及び被告の責任役員らとは右大谷が大谷派からの独立宣言をしたため両者の意思が通じ合う状態でなかつたことを原告らは熟知していたことの各事実が認められ、これら認定事実によれば、原告らは、大谷光暢の前記権限踰越、濫用を知つていたことが推認できる。原告道林寺代表者はその尋問において、仮責任役員の同意及び総代の同意を得ている旨供述しているが、右原告代表者尋問の結果によれば、右仮責任役員及び総代は、大谷光暢が大谷派から離脱するに際し選任した者たちであることが認められ、もとよりこれらの者が適法に選任されたことを認めらるに足りる証拠はないから、これにより前記推認を左右するに足りない。他に右推認を左右するに足りる証拠はない。

そうすると、仮に大谷光暢が被告を代表して原告らと本件使用貸借契約を締結したとしても、右契約は、被告の代表役員(右大谷)の権限濫用行為にあたるから、民法九三条但書の類推適用により、無効である。

第三原告らの被告の末寺としての権利確認請求について

一原告らは、「被告の末寺として、①被告本堂において行う被告のすべての儀式に原告らが出仕すること、②被告から教師、堂班、衣体その他の資格称号の付与を原告らが受けること、③被告から原告らが僧籍の取得、得度の付与を受けること、④被告から原告らを通し院号法名の付与、須彌檀収骨を原告らの門信徒に与え帰敬式をとり行うことの各行為をなす」ことを含む原告らの被告の末寺としての権利の確認を求めるものである。

二しかし、仮に、原告らが被告の末寺であることが認められるとしても、右①については、被告が行う儀式は被告の宗教活動の自由に属するものであり、右②については、前記第二に掲記の証拠によれば、教師は将来寺の住職になるものの資格、堂班は各寺へ出仕するときの並ぶ順序、衣体はその順序、寺格を色で色別してある衣をそれぞれ意味するものであり、これらの資格称号を付与することは、被告において自治的に決せられるべき宗教上の教義ないしは宗教活動の自由に関する問題であることが認められ、右③の僧籍、得度の付与についても、その事柄から、右と同様であることが推認でき、右④については右証拠によれば、院号法名は、法主から僧侶門徒に贈る死亡者が仏弟子になつたことを表わす法の名(俗にいう戒名)、須彌檀収骨は、信者の本山への納骨、帰敬式は門徒の帰向の誠を表わすための儀式をそれぞれ表わすものであつて、事柄の性質上、それらは広く一般信徒の信仰に根ざす制度ないしは被告の宗教活動の自由に属する儀式であることが認められるところ、原告らが被告に求める右各行為は、大谷派から離脱した原告らと大谷派の被包括法人である被告との間において宗教上の教義ないし信仰の対象の価値を同じくするか否かの判断を避けられないものといわなければならない。なお、原告らは右各行為をなすことを含む被告の末寺としての権利の確認を請求しているが、右末寺としての権利の内容は、右各行為をなすことを求めるものよりほかに主張がないので、結局、右各行為をなすことを権利として確認するにすぎず、仮にそうでないとしても、その文言の意味、及び原告ら主張のその内容をなす事柄からすれば、右各行為をなすことを除く、その余の右末寺としての権利は、右各行為をなすことを求める権利と同一の性質を有するものであると認めるを相当とする。そうすると、これらの権利が原告らに認められないことにより、原告らの生活の基礎に重大な影響があるとしても、右権利の確認の訴えは、法令の適用による終局的な解決の不可能なものであつて、裁判所法三条にいう法律上の争訟にあたらないものといわなければならない。

第四結び

一以上判示したところによれば、原告らの本訴の請求のうち、原告らが本件建物部分につき使用貸借契約による使用権を有することの確認を求める請求は理由がないからこれを棄却すべきであり、その余の請求(被告の末寺としての権利確認請求)の訴えは不適法であるからこれを却下すべきであり、更に、被告の反訴請求は理由がある〔反訴の請求の原因事実は当事者に争いがなく、原告ら主張の抗弁1、2は理由がなく、仮に右抗弁2の事実が認められるとしても、被告主張の再抗弁(権限濫用による無効)が理由がある。〕から、これを認容すべきである。

二よって、本訴、反訴を通じての訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(山﨑末記 杉本順市 玉越義雄)

別紙(一)

寺名

本山末寺契約成立

(末寺之証交付)年月日

浄恩寺

昭和五四年二月一七日

蓮華寺

昭和五四年四月一八日

清広寺

昭和五四年四月一八日

仏現寺

昭和五四年三月二〇日

専念寺

昭和五四年六月一一日

光栄寺

昭和五四年六月二〇日

長光寺

昭和五四年六月二〇日

祐顕寺

昭和五四年六月二〇日

明力寺

昭和五五年五月一二日

光明寺

昭和五四年六月二〇日

徳善寺

昭和五四年六月二〇日

浄福寺

昭和五四年六月二〇日

得蔵寺

昭和五四年六月二〇日

専久寺

昭和五四年七月二〇日

光照寺

昭和五四年三月一五日

光現寺

昭和五四年三月一三日

兼正寺

昭和五四年三月一三日

真入寺

昭和五四年四月一七日

道林寺

昭和五四年六月一二日

道林寺支坊

昭和五四年八月二〇日

普願寺

昭和五四年七月二〇日

空性寺

昭和五四年九月三日

長明寺

昭和五四年九月三日

通法寺

昭和五四年四月二二日

福正寺

昭和五四年六月二〇日

蓮敬寺

昭和五四年四月一八日

円満寺

昭和五四年三月一二日

正福寺

昭和五四年三月一五日

明伝寺

昭和五四年四月一八日

別紙(二)

物件目録

京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町七五四番地、七五三番地

同区諏訪町通万年寺下ル下柳町二九八番地、二九九番地、三〇〇番地、三〇二番地、三〇三番地、六〇二番地、六〇二番地一、六一八番地、六一九番地、六二〇番地

同区室町通万年寺下ル乾町二九五番地、二九五番地一、二九六番地、二九六番地、二九七番地、二九七番地一、六〇三番地

同区不明門通万年寺下ル高槻町三五二番地、三五五番地、三五六番地、三五七番地、三五九番地、三六〇番地

同区本願寺敷地烏丸二丁目三〇六番地、三〇七番地、三〇七番地三、三〇八番地、三一〇番地、三一二番地、三一六番地、三一六番地一、三一七番地一

家屋番号 常葉町七五四番の二

本堂木造瓦葺平屋建

床面積 1987.38平方メートレル

附属建物

一、符号二八、庫裡 鉄筋コンクリート造瓦葺三階建

床面積

一階 3024.92平方メートル

二階 1644.53平方メートル

三階  133.46平方メートル

の一階部分の中

(1)別紙図面赤線を以て囲んだ部屋

(2)別紙図面青線を以て囲んだ通路

以上

別紙図面<省略>

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